←前の章へ / 目次へ戻る / 次の章へ→
「技術」と「気持ち」

音楽でも仕事でも、おいしいラーメンを作るときでも、「気持ちがこもってない」とかいう言い方をされる場合があります。

『気持ち』と対をなす言葉として『技術』ってのがありますね。 「小手先の技術じゃどうにもならないんだよ。やっぱり気持ちがないと」なんてね。

こういう言い方をする場合、その人は「気持ちがすべて」みたいなニュアンスで言うケースが多いような気がします。逆に言うと「技術なんかどうでもいいんだ」みたいなニュアンスで。

僕はこういう発言を聞くたびに、微妙な違和感を覚えるんです。

いや、もちろん『気持ち』は大事です。 「いい音楽を作りたい!」っていう気持ちがなければ、何もスタートしないわけですから。 でも、「気持ち」だけでいい音楽が作れる人がいたとしたら、その人は天才です。そして、「自分がそういう天才である確率」に賭けるのは、とてもリスキーです。自分の中にある『気持ち』を形にするためには、『技術』はやはり絶対に必要なはずです。

「おいしいラーメンを作るんだ!」とどれだけ汗や涙を流しても、塩味が足りない時に塩を入れるべきなのか醤油を入れるべきなのか味噌を入れるべきなのか、それがわからないのではいたずらに遠回りをするだけです。場合によっては、その遠回りだけで時間を使い切ってしまうことだってありうるわけですから。

では『技術』は『気持ち』以上に大切なのでしょうか?モノを作って煮詰まったとき、『技術』だけでは乗り越えられない部分は必ず出てきます。そのときにそれをあきらめるのか、乗り越えようとあがくのか、それは『気持ち』の勝負です。そういう『気持ち』は『技術』を生むでしょうし、『技術』が『気持ち』を生むことだってあるでしょう。

つまり、最初と最後は『気持ち』、それを中間で支えるのが『技術』であり、『気持ち』も『技術』もどっちも軽んじるべきではないと思うのです。『技術』を『気持ち』でサンドイッチする状態。それが、ある目標に向かうためのバランスのいい精神状態なんじゃないかと。

これはおそらく、プロで仕事をする場合でも一緒でしょう。ただ、プロで仕事をする場合には「売れるようにする『技術』」とか「お金を儲ける『技術』」とかっていう部分の割合が大きくなるでしょう。これらの『技術』が最初の『気持ち』とどう整合性をとるのか、という部分が作り手側の勝負なのかもしれません。ある場合には『技術』が『気持ち』を侵食してしまうこともあるでしょう。またある場合には「もっと売りたい!」という新たな『気持ち』が技術とのバランスを取ってくれるかもしれません。

いずれにしても、『気持ち』と『技術』のバランスというのは大切だと思います。

←前の章へ / 目次へ戻る / 次の章へ→

inserted by FC2 system